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ピチェト博士との手術体験

ピチェート博士こんにちは。

マーガレットです。もうイギリスに戻ったことをお知らせします。大変お世話になったことにとても感謝しています。あなたたちは皆優しかったです。お言葉どおり、今私は自分が天使であるように感じています。家族の皆も手術結果に大満足です。顔の腫れは大分おさまりました。新しいデジタルカメラで取った写真をもうすぐ送ります。

手術したいが不安でなかなかそう決断できない友達にとって、私のタイでの旅はきっといい助けになるでしょう。

マーガレット

ピチェート博士の所での性転換手術のためのタイへのマリリンの冒険

こんにちわ。私の名前はマリリンです。以下が私のタイでの性転換手術に関する話です。これは私が女に変わる間に経過した一つの旅です。私は女になるためには、いくつかの段階を経過しなければならないと信じています。今私がわかったことの中には、女が女であるためにずっと勉強しなければならないことがあります。私は心がずっと女でした。しかし、自分は自分の中の女について追求することを許しませんでした。この30年間私は自分から逃げようとしていました。

 

 

これまでの経緯 :
性転換手術に至るまでの今までの旅について述べます。これで皆さんは私がなぜタイに行ったか、そして私がなぜこの手紙を書いたかがおわかりになるでしょう。

他人と違っていることはいつも簡単ではありません。そのために私も他の性転換したい人たちみたいに、小さいごろから何かが間違っていることに気づきました。10才のときに私は自分が男の体にいる女だと知りました。これはなかなかすぐ簡単に認められるものではありませんでした。当時私の国南アフリカでは悪くて罪深いことでした。自分の性を変えることなんて、到底無理に見えました。そのために、私はこの問題を自分なりに解決しました。これはたんにその事実から逃げて、あくまで何事もなかったみたいに生活していくだけでした。

しかし、言うのは簡単でしたが、するのは難しかったです。私はずっと女の自分を感じていました。今考えますと、とても幸運でした。自分から逃げるために私はたくさん仕事し、そして22才に結婚しました。今6才の娘がいます。娘にも感謝しています。皆と似た生活をするのは一つの方法ではありますが、そう長く逃げられないのも事実です。私の場合、30年間が限界です。

2000年7月に私はXと一緒にお医者さんに会いに行きました。彼女の名前はエルナー・マックイントッシュで、サンフランシスコで勉強した南アフリカ人の、性に関する専門家です。彼女は私に必要な心理学者およびホルモンを与えるためのお医者さんを手配してくれました。彼女のやり方はハリー・ベンジャミン標準に従うもので、私の長い旅の始まりでした。先ほども述べましたが、私は10才のときから事実を知って、それを認めませんでした。このことは一晩では変えられるものではありません。時間のかかる変化なのです。私も認めていかなければなりませんでした。時が来れば、色々といいことは起こるかも知れませんし、難しいですがそれのために準備しておかなければなりませんでした。

手術日(2002年12月29日)よりも2年以上前からホルモンをもらって来ました。そして、2001年12月18日に名前を変えて、それから正式にマリリンとして生きてきました。これらの旅は私にとって大切な旅であり、最初は怖がりましたが、打ち勝たないと次のステップに行けないものでした。私の場合、人生の中に順番に通って行く旅もあれば、平行に通って行く旅もありました。

この手紙の主題は性転換手術の旅に関するものです。これには少し背景を述べる必要があります。

なぜタイにいるピチェート博士なのか?

2002年の間に私は2002年の12月に手術する計画を立てました。私は働かないと給料が出ない分析プログラマーで、ちゃんと計画を立てなければなりませんでした。最初は、家族と友達が近くにいて助けを求めやすい母国の南アフリカで手術するつもりでした。しかし、南アフリカにはこの手術のできるお医者さんが少ないです。その上に、彼らはそんなにこの種の手術の経験が少なく、私への参考例は少なかったです。また、彼らはすぐに私に正確な料金をくれずに、私には後で連絡すると言っただけでした。これで私にストレスがたまって、不安になりました。

この旅であなたは大きい最後の一歩を踏みます。過去、現在、そして未来が当然ごちゃごちゃ頭にあります。そのためそのとき私は怖がって、安全な場所を探そうとしました。

私が会いに行った南アフリカのお医者さんのもう一つの問題点は、患者に助けてやるみたいな態度をしてくることです。私にとって、私がお金を払う方で、医者たちがサービスをする方だから、医者がそういう態度をするのはおかしいと思いました。これについてもストレスのたまるものであり、自分では解消できないものです。私にとって、手術することまでも決心し、予算も用意して、心も準備できました。それなのに、私に手術をさせてくれないのは不公平でした。

2002年10月あたりに、2002年12月に手術したい、と南アフリカのある医者に言いました。なのに彼はそれを無視しました。少し時間が経ってから聞き直したら怒られました。2002年12月12日の時点で、私は絶望した状態でした。私の最初の心理医は、タイにいるお医者さん皆に問い合せたと言いました。彼によると、帰ってきた返事はありませんでした。

それでも私は自分でタイにいる成形外科医に連絡しました。私の心理医が何か間違いをしたかどうかはわかりませんが、私が自分で連絡すると、すぐ返事が来ました

e-mailを送った次の日に返事が戻ってきました。タイのお医者さんと私が経験した南アフリカのお医者さんとの差は信じられませんでした。

ピチェート博士は12月末なら何とかなると返事してくれました。そのため私はアン・ローレンツさんのホームページにピチェート博士のことを調べました。そこで彼はセット料金で請求し、手術する経験が多いことがわかりました。経験の多い人となら、まあ安心でしょう。

経験豊富の上に、ピチェート博士は私を人間として扱って、私の尊厳を大事にしてくれました。彼は私と一緒に計画を立てました。前にも述べましたように、安全と感じる必要はあります。ピチェート博士は私が安全で保護されているように感じさせました。

ピチェート博士は私に4000ドルのお金を要求しました。このお金はすべての面において、払う価値がありました。

タイに到着したとき、私はクリニックに行きました。その晩に手術をしました。鼻の手術も彼の所でしました。ピチェート博士と助手さんたちおよび病院の従業員たちは、私がお会いした人たちの中で、とても面倒見がよかったです。彼らは私を不安させずに、私の尊厳を尊重しながら私を扱ってくれました。また、彼らはこの旅をできるだけ痛みのないものにしようと努力しました。

手術の6ヶ月前に私はある人に会いました。手術のとき彼は私を「助け」に一緒にタイに来ました。ピチェート博士はさらにお金を要求せずに、彼を私と同じ部屋に寝させるように手配してくれました。ピチェート博士と助手さんたちは、私のかかる費用を少なくするように助けてくれた、と私が言い切れます。タイにいる間に、とてもよく患者の面倒を見てくれます。ピチェート博士は二人で一晩500バーツ(12ドル)のホテルを手配してくれました。このホテルはきれいで何でも揃っていました。私にとって、これも払うのに値打ちのあるものでした。

そして、危機が訪れました。一緒に来たやつはたんにずっと寝ていて私をほったらかしにしました。手術後の最初の約10日間の間には、体がとても弱くてあまり動けず、他人の助けが必要であることを忘れないでください。病院での4日間の後私はホテルに移りました。ピチェート博士と助手さんは1日2回私のところに助けに来ました。治療には1日3回薬を取らなければなりませんでした。一緒に来たやつはたんにずっと寝ていて、私にはストレスが溜まりました。ピチェート博士の助手さんはこれを感知し、私に料理を持ってきてくれるようになりました。退院の2日間後にあのやつは行っちゃいました。これで本当の危機が来ました。

私はピチェート博士に電話しました。すると彼はすぐ助手さんたちを私のところに来させました。彼らは無料で私をクリニックの近くにあるアパートに移しました。助手さんたちの一人のイングは私を面倒見るために一緒にあそこで寝ました。回復するまで私はあそこにいて、その後一晩600バーツ(15ドル)のワールドトレードセンターの近くのホテルに移りました。これもまた払う価値がありました。

タイにいる間私は友だちができました。外国に来たため私は散歩でバンコクを観察するようになりました。もらった助けと友情で、私は一人でいる感じはしませんでした。ニットとイングはバンコクを案内し、私の行きたい所への行く方法を教えてくれました。

彼女たちの存在でこの旅は特別でした。性を変えるのは小さなことではありません。できるだけしてよかったと思えるように物事がスムーズに運んで欲しいものです。

手術の結果についてとても満足です。手術してから今日でもうすぐ2週間です。直るまでに少し時間はかかるでしょうが、今でも難なく歩けて、手術の成功を実感するようになれました。私の体も女です。

私はピチェート博士を推薦します。これは彼が腕のいい整形外科医だからだけではありません。彼と助手さんたちの助けも推薦の理由です。私にe-mailでもしてください。アドレスは marilyn:warburgo@webmail.co.za です。

自分の家族の助けについも感謝の気持ちを表したいです。この手術が事実となれたのも各方面からの助けがあったからこそです。私はどん底にいました。しかし、私は信じ続けました。現在私はとても幸せで、次の旅への準備が整えています。

敬具、

マリリン・ストルーウイク
南アフリカ

バンコクでのピチェト博士との性転換手術の体験

私はバンコクでの体験を書いて、3枚の写真と一緒にアン・ローレンツに出しました。以下がその内容です。顔の成形のときにまたお会いしましょう。ありがとう。リン

私は2002年10月10日の夜12時にバンコクに到着しました。東南アジアのにおいとジェット機からの降下で、私はパニック状態に落ちて、30年前のベトナム戦争のいやな記憶が蘇ました。私は性転換手術のためにバンコクに来たのであって、パニック状態などには準備していませんでした。ベトナムでの経験で私には心の傷が残り、パニック状態になりやすいです。(医学ではこの病気をPTSDと呼んでおり、ここでも以下この病気をPTSDと表します。) PTSDで私は突然自分がバンコクに来た目的を失いました。治療医であるジュデイー先生からPTSDがあるのを知っていましたが、これでこの病気がどれだけひどい病気なのかを知りました。

ジュデイー先生によると、バンコクは私にとって手術を行うのにふさわしい所ではありません。しかし、私は54歳で、私にとって時間は大事な要素でした。カナダやアメリカで手術するのにお金を貯めて、しかも長いウエーテイングリストを待つと、自分の順番が来るときには私はもう60歳以上になったでしょう。しかし、ピチェート博士とバンコクならお金はありました。とうとう恐怖に直面する時が来たのです。私はずっと手術が怖かったです。

性転換手術もするかどうかはっきりしませんでした。私はお金を払うなら、フェースリフトぐらいのことでもそれなりの結果を要求します。しかし、家のアリゾナでは誰もピチェート博士にお世話になったことはありません。ある女性は別のタイのお医者さんにお世話になっただけです。今回の私の行動は勇気があることを証明するするのか、どれだけ手術をしたいことを証明するのか自分でもわかりません。いずれにしても、私は東南アジアでのスタート時点にまた立ちました。

全般的に言いますと、バンコクでの体験はしんどいものでした。お医者さんや手術のためではなく、PTSDのためです。しかし、その20日間の後に私は自分のことをもっと知るようになって、心の傷も少しは治りました。それだけでなく、ピチェート博士への尊敬とともに、新しい人生を始めるための女の体で家に戻れました。

到着した次の日の朝8時に、ピチェート博士の助手さん二人はホテル(ワンタナーマンション)まで私を迎えに来ました。9時に私は博士に会いました。彼が部屋に向かって歩いて来ている途中に、私はガラスの向こう側に優しい微笑みを浮かべる彼の顔が見えました。その時点で私は自分が性転換手術をするだろうと思いました。

博士はいろんな選択を私に話しました。私が難しい質問をしても、博士は率直に答えてくれました。彼は手術に伴う危険性を私に説明しました。彼の誠実で私は彼を信頼するようになりました。正午前に私はもう手術部屋の中にいました。そして時差ぼけの状態およびアジアに対する複雑な気持ちで、性転換手術をしました。

14年間のゴルフ場の建設および管理の仕事で私は背中を痛めました。仰向けに長く寝ていると背中が痛くなります。しかし、私はすっかりこのことをピチェート博士に話し忘れました。手術して麻酔が効かなくなった後、私は真っ暗に(それがその日の夜なのか、もう次の日の朝に近いときなのかわかりませんが)目を覚まし、PTSDで頭が真っ白で、背中はとても痛く感じました。

次の日の朝、私の頭が正常に戻ったときに、自分が問題児だったことを看護婦さんから聞きました。うそだと少しも思いませんでした。私はタイ語がわからなくて、看護婦さんに背中の痛みを説明することができませんでした。朝ピチェート博士に背中の痛みのことを話し、彼はすぐ私に痛み止めの薬を注射してくれました。その時点から3日間私はホテルで、とてもいい面倒見のいいプロたちの力で、快適に回復しました。

そして私は一人ではありませんでした。ピチェート博士の秘書のニットさんは三日間ともずっと私と一緒でした。彼女の存在は予想外でしたが、私は感謝の気持ちでそれを受けとりました。私たちはいろんなことについて会話しました。彼女はとても感じのいい女性で、今でもまた会いたいです。そして私は一人ではありませんでした。

手術後の4日目私はホテルに戻りました。実際私はずっとクリニックで回復できましたが、前にホテル代を払って、それが払い戻しできなかったため、ホテルに戻りました。その埋め合わせとして、私の出費を減らすようにホテルにいる間にピチェート博士はホテルまで食べ物と飲み物を持って来てくれました。彼自身は毎日来ました。ある晩、私は手術とは関係のないパニック状態に落ちて、夜中彼に電話しました。すると、彼は親切に来てくれました。

私は時々クリニックで時間を過ごしました。クリニックの隣はTescoと言う欧米のスーパーがあります。あそこから私は新鮮な果物やピーナツバター、小麦パン、チーズ、固いロールパン、ツナのサンドイッチなどを買いました。私にとってタイ料理は甘すぎるか辛すぎるかのどちらかで、博士がやり取りしているタイ料理を食べれませんでした。そのために、バンコクでの食事の多くは洋食でした。また、クリニックにはケンタッキーやピザのメニューがおいてありました。食べたいものを博士に言えば、彼は人を買いに行って来させてくれました。

私は時々自分で大きなホテルに行って、チーズバーガーやラムシチューなどを楽しみました。グランドホテルでのリブアイのステーキはとてもおいしかったです。食べ物でとても幸せになりました。当時バリの事件がニュースにあって、博士は私の安全が心配で、彼の知っている車とドライバーであっちこっち行くことを進めてくれました。しかし、そのとき私は馬鹿で、あまり頭を使わずにそれを無視し、町のぼろいタクシーを適当につかまえて、行きたいところに行きました。博士がそれを知ったとき、丁寧にそれが賢いことではないと言ってくれました。特に、手術後の最初の日には彼は私ができるだけ動かないで欲いと言いました。 

ワンタナーで私はタイに住んでいるイギリス人と親しくなりました。縄の技をロバートから教わりました。一人で、会話する相手がいない状態はありませんでした。その点で私はラッキーでした。ホテル自体は安くて、払った分だけの価値はありました。他のところに行けばもっと柔らかいベッドで寝れるでしょうが、ここなら一晩10ドルだけでした。

ピチェート博士はクリニックのオーナーで、その分だけオーバーヘッドが少なくて済みます。そのために手術代は安い、とタイにいたときに聞きました。私があそこにいる間には、韓国、ヨーロッパ、日本、アメリカからの患者たちがいました。彼らは入れ替わって、少なくとも週に一回ピチェート博士は性転換手術を行うと聞きました。私が到着した日、ある女性は退院しようとしました。私は少し彼女のお母さんと会話をしました。故郷から離れたときに、同じく遠い所から来た人とおしゃべりできるのは相変わらずいいことでした。

私には閉鎖所恐怖症もあり、そのためにじっと部屋に閉じこもれませんでした。それにもかかわらず、回復は順調でした。その段階の治療については、今思えばそんなに記憶に残っていなく、バンコクでの楽しいことばかりが頭に浮かんできました。私がバンコクを出たのは10月28日でした。町を楽しみ始めたときに、出なければならなくなったのです。

故郷に戻ってから、手術のことをいつも考えて、自分で自分の体を大事にしました。博士の命令もちゃんと従いました。手術結果を見た人たちは皆ほめてくれました。私は鏡の中の自分がとても好きです。私がすっかり変わったと人たちが言っています。体から幸せが溢れて出ているそうです。それは自分が本当に幸せだからと信じています。

この手紙を書いている今ではもう2002年のクリスマスに近い時期です。回復の度合いは素晴らしかったです。私はピチェート博士に恩になています。私は彼をお勧めします。顔の成形をしにまた彼の所に行こうと思っています。 

患者になるかもしれない人たちに、以下のアドバイスをあげます。

1. 先生に欲しいものをちゃんと言うように。もし私が背中のことを忘れずに言っておけば、痛い思いをせずに済んだでしょう。会話してください。

2. 誰かと一緒に行った方がいいです。

3. ホテルを選ぶとき、快適のために少し料金の高めのものにするべきです。

4. クリニックの近くの欧米のスーパーは便利です。

5. 先生に欲しいものをちゃんと言うように。

私はとても幸せで、これはピチェート博士の手術の腕のおかげです。
ニーラ・リン・バームス

レスリーの性転換手術

私は2003年5月にピチェート・ローッチャローイン博士の所で性転換手術を行うために、タイ・バンコクに行きました。前に私の友だちがアジアにおける性転換手術についてかなり調査しました。それにもかかわらず、私は自分でもインターネットで調べて、自信持ってピチェート博士にお願いすることに決めました。

アメリカからの飛行時間は長くて、疲れました。私たちは夜11時に無事にバンコクに着き、その後すばやく税関を通り、ピチェート博士が用意してくれた車に乗ってバンコクに入りました。ホテルまで約30分間でした。チェックインの時にピチェート博士のメッセージを受け取りました。次の日の朝に迎える車を送ってくれる内容でした。ホテル自体はビジネスクラスのもので、料金はアメリカの同等なものよりは低かったです。

次の日の朝9時半に車が来ました。10分間で博士のクリニックに着きました。車がクリニックに着いた時、我々二人はかなり不安でした。外見では医学的に処置するところよりも、普通のオフィスに見えました。場所自体もタイ人だけがいるような領域に感じました。クリニックの周りには商店が並んで、小さな商品を売り動く人が何人かいました。少し心配しながら、我々は中に入って、博士の助手さんに会いました。外見で想像したものよりも、中身はきれいで、かなり広かったです。上にある事務室まで案内してもらって、必要事項を用紙に記入しました。博士の助手さんはとても親しみやすくて、博士を待っている間、彼女にお茶を入れてもらって、彼女と会話をしました。

ピチェート博士が来ると、我々は私が願うことについて話し、博士はその後さっそく私の体を検査しました。我々はいろんな選択肢についてもう一回考慮し、結局私は結腸切断を含む手術が一番いい方法だと結論に達しました。ピチェート博士はそれに伴う危険性について、私も友だちもちゃんと理解できたことを確認しながら丁寧に説明しました。ピチェート博士自身もこれが一番いい方法だと思っているみたいでしたが、なにせ危険性が高いため、博士はこれがぜひいいとは言い切りろうとしませんでした。

博士は自分の担当で患者が手術で際立った痛い思いをさせたことはなかったそうです。自分が「ラッキー」だと謙遜していました。しかし、彼の数多くの成功には、彼の手術の腕および細かいところまでの注意深さに原因があると私は思います。私は彼にすぐ手術して欲しいと言ったので、彼は早速病院および普通の整形外科医に連絡をとって、次の日の朝8時に手術できると言ってくれました。この時点で私はまた用紙に記入し、そして彼に料金を払いました。

ピチェート博士は性転換手術の推薦文を必要としませんが、それがなければ患者になぜ性転換手術をしたいかを書いてもらいます。そしてその内容を精神病医に見てもらいます。私の場合、推薦文がありましたのでそんなものを書く必要がありませんでした。

その日ピチェート博士の助手さんは私を病院に連れて行って、私はそこで予備検査を受けました。書類の記入などのやりとりは、すべて博士の助手さんがしてくれました。各種の検査の後に私は大きな個人用の病室に入院しました。

病院自体はアメリカの都会にあるものと同じ感じでした。博士の助手さんは物事がうまく運んだのを確認してから、私の友だちを服やトイレ用品を取りにホテルまで連れ戻した。2-3時間で彼女たちは病院に戻りました。ピチェート博士の助手さんたちは色々と助けてくれて、我々を家族のように感じさせました。アメリカのお医者さんから、これほどの面倒と心配を受けたことはありませんでした。

その晩、手術のための準備をしました。消化通路をきれいにするために、私は飲み物を大きなビン6つ飲まなければなりませんでした。私の心電図も何かの異常のサインを示し、専門のお医者さんに詳しく検査されてからピチェート博士の青信号をもらいました。

次の日(月曜日)私は手術しに連れて行かれました。手術台に縛られた時、私には意識があって、先生とお話をしました。手術は6時間かかりました。思わぬことは起こりませんでした。目を覚めたとき、友だちが見えました。その後私は一日中ずっと寝て、今思えば痛みはありませんでした。

火曜日の朝私は目を覚まし、身のまわりの状態をつかめました。手術された性器のところは包帯で巻かれていて、別に痛みはありませんでした。切開されたお腹での傷口は動いたときに少し痛みました。足は痛くて、右足はしびれました。

ピチェート博士は私を診察し、どこも良さそうだと言いました。私は時々目を覚ましたが、また一日中寝ました。一番厄介なのは足のことです。少しあった熱および悪い換気状態のせいで、ベッドの近くは暑かったです。この問題を解決するために、ピチェート博士は扇風機を持って来てくれました。

水曜日になる前に、私はもっと回復し、痛み止めの薬は必要なくなりました。病院は私に足のマッサージを、そして私の友達には全身のマッサージを、それぞれ手配してくれました。マッサージのおかげで足のしびれは大分よくなりました。それでもお腹の傷のため、私はまだあまり動けませんでした。

木曜日の朝ピチェート博士が見に来られた時、その日に私をホテルに戻すと言いました。私はやわらかいベッドが恋しかったのでうれしかったです。博士の命令で、運転手さんと二人の助手さんは私たちをホテルに戻しました。ホテルでは友達はずっとそばにいましたが、彼女が休めるために時々博士は助手さんを送ってくれました。本当に心配してくれたことが感じられました。また、友達が病院の食べ物以外も食べれるように、彼女に昼ごはんまで持って来てくれました。他にも想像できることなら喜んでしてくれました。

ホテルの従業員はとてもプロで、素晴らしい看護をしてくれました。いる看護婦さんの中には、いつでも必ず英語達者の人が少なくとも一人いました。他の病院ならあまり英語は話しません。テレビも英語の放送が何チャンネルかありました。

金曜の朝、ピチェート博士の助手さんたちが何人か来ました。包帯を変えてくれて、すべてうまく行っていると言いました。私はホテルで一日休みました。疲れてはいましたが、特にいやなことはありませんでした。

土曜日ピチェート博士はホテルで私を診察し、順調な回復に満足し、日曜日私を自分のクリニックに連れて行く車を手配しました。そこで彼は私に写真を見せながら、運動のための性器への物の挿入について教えました。私は大分よくなっていましたので、午後友達と買い物および見物をしに行きました。ピチェート博士は車と運転手を安い料金で貸してくれました。運転手と案内人のおかげで、バンコクでの観光は安全で楽しかったです。

その後の数日間も、私たちは毎日ピチェート博士のクリニックで少し診察してもらった後、観光と買い物をしました。数時間で私は疲れましたが、かなり長い距離を自分で歩けて、観光地と買い物を楽しめました。夜はホテルの部屋でテレビを見ました。 

水曜日の朝に最後の検査を受けました。何もかもよく回復しました。ピチェート博士はこれで私を家に帰らせました。

手術からもう一ヶ月たちました。別に異常はありませんでした。ひだの所に腫れは残っていますが、バギナの外見は良さそうです。今でもたまには足がしびれたり痛かったり、バギナ内部から突然神経が打たれるような感じをしたりします。硬い所を長時間座るのもつらいです。仕事には帰って来て次の日から戻りました。疲れやすいが、手術の一ヶ月後だと思うと、よく回復していると思います。

バギナの深さは約7インチです。最初の2週間では毎日何かが少しバギナから出ましたが、今では挿入物の挿入の後でしか出なくなりました。出てきた量は挿入物の大きさおよび使われた激しさによるようです。粘っこい物で、時々血が混ざっていました。

手術の結果に私は満足です。ピチェート博士と助手さんたちの皆さんは私たちを家族のように扱ってくれました。携帯電話の貸付など、可能なことならいつでも喜んでしてくれました。性転換手術したいなら、ピチェート博士にするのを真剣に考えて見てはいかがでしょうか。彼個人の面倒および世話はアメリカのお医者さんはかなえません。 

ここで、バンコクで私たちがもらった特異な努力および面倒について、ピチェート博士、マウさん、タエウさん、レックさん、タックさん、サーウさん、イングさん、ムーさん、ハイさん、および他の助手さんたち皆さんにお礼を言いたいです。

皆さんにありがとう。
レスリー

ナタリーの性転換手術

ピチェート博士および助手さんたちへ

私がこの手紙を書いたのは、あなたと助手さんたちがしてくれた性転換手術および上下のまぶたの成形に、どれだけ私が満足したかを表すためです。そちらでの体験はバンコク空港に降りたときから全て気に入るものでした。着いた日にあなたは迎えの車を送ってくれました。ホテルに着くと、塩下剤をどうやって体にとるかの案内をもらいました。その晩マウさんが来て、塩下剤の取り方がもうわかっているかどうかを聞いたりして、すべてうまく行っていることを確認しました。彼女に取り方がもう分かったといった後に、手術後では別のホテルを探せるかを聞き、それは問題ないという丁寧な返事を得ました。ワンタナーマンションで泊まるのは一晩10ドルで安くていいですが、ヒルトンホテルではないので、ベッドもそんなにはきれいではなく、私も安全だとは思いませんでした。これは私にはそこの習慣、文化、および国が全く無知であったためでしょう。もっと状態がいい所で、もっと安全な環境で回復したいため、私はそりよりも一晩10ドル高いホテルに移ることにしました。

2003年5月11日の夜11時に着きました。手術は次の日の2003年5月12日の午後4時に、ピチェート博士と打ち合わせおよびまだ払っていなかった料金の支払いの後に、手術が行われました。ピチェート博士と助手さんたちと病院の看護婦さんたちのおかげで、ホテルにいる時間はとても楽しかったです。私はタイ語がわかりませんので、最初は病院の看護婦さんを誤解し、そのためわがままをして博士と看護婦さんたちの問題児でした。その後、習慣および文化がわかるようになり、皆さんに謝りました。起こったことを説明しますと、看護婦さんの痛み止め薬の注射が速すぎて、私は赤線が見えて、心臓まで入って死んでしまうのではないかと考えました。言うまでもありませんが、私はもう腕のいいプロたちのところにいて、心配すぎていたのです。ピチェート博士の助手さんのイングさんは、病院での24時間およびその後のホテルでの2日間、ずっと私と一緒にいて、その間にピチェート博士に何回か私の具合を電話で報告しました。

約4日間の入院の後に、ゴールドオーキッドと言う豪華できれいなホテルに移りました。荷物がもう待っていました。そこの従業員はファーストネームであなたを呼びかけます。私はそこで18日間いましたが、毎日クーポンで朝ごはんをただで食べれました。ホテル代は約350ドルでした。主なクレジットカードが使えるので、私はアメリカンエクスプレスのカードを使いました。ホテルではピチェート博士から手術をした人に何人か会いました。

ピチェート博士には運転手さんもいます。600バーツで彼はあなたとずっと一日いて、買い物などに連れて行ってくれます。アメリカのお金に換算したら、16ドルか18ドルだけです。ピチェート博士の助手さんは私の傷を消毒するために毎日ホテルに来ました。バギナを広げることにも手伝ってくれました。助手さんのマウさん、タックさん、タエウさん、イングさん、ポッチャニーさん、ムーさん、およびサーウさんは、理解深くて、プロで、優しくて、丁寧で、希望さえすれば喜んでしてくれそうな人たちばかりです。性転換手術、あるいわ他の手術や成形をしたいなら、他のお医者さんよりもピチェート博士をお勧めします。

ピチェート博士の所では、料金が高くなく、患者を自分の家族のように扱ってくれます。私は2003年の9月には顔の成形で、2003年の12月には豊乳で、そして2-3年後にはバギナを深くする結腸切断の手術で、それぞれまたそちらに行きます。ピチェート博士と助手さんたちについて、十分には言い表せません。すごく素晴らしい人たちばかりです。

もう一回ありがとう。
ナタリー・M・ドウーガン

日本語での問い合わせ:pichet@bangkokplasticsurgery.com

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